毎年この時期、JR各社から春の臨時列車に関するリリースが。
そんな中で、JR東日本のリリースの中に寂しい発表があった。
東京-大垣間の夜行快速、「ムーンライトながら」の運転終了。
昨年春の運行が最後となり、今後は設定されないらしい。

繁忙期に運転され、青春18きっぷの愛用者に人気だったけど、
「お客さまの行動様式の変化により列車の使命が薄れ・・・」
「使用している車両の老朽化に伴い・・・」とのこと。



最近は特急型車両による全車指定席の臨時列車だったけど、
nyaponの世代にとっては、無名の「大垣夜行 340/345M」。

急行型165系のボックスシートで、エビのように眠ったもの。
繁忙期などは、席確保のために何時間も前から行列したり。
割安なグリーン車も人気だったけど、貧乏学生には・・・。
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 これは165系と同型の169系

記憶に残るのは、初の北海道旅に向かうために乗った時。
1986年の春、「国鉄」の終焉まであと1年となっていた。
理由は忘れたけど、大阪から米原の間で列車が遅れて、
米原から大垣までは、特急「しらさぎ」に飛び乗った。

間に合う乗り継ぎ列車が本当に無かったのか、
少しでも早く大垣に着いて、席を確保したかったのか。
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 スタート早々、700円の出費(苦笑)

21時過ぎに大垣発、翌朝4時半くらいに東京着。
どこかで食べた駅そばの出汁で、関東にいるのを実感した。

確か、常磐線経由で鈍行を乗り継いで夜には青森に。
青函連絡船の深夜便から、お約束の「函館ダッシュ」。
確保した始発特急の自由席で、初めての北の大地を眺めた。
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 記念に1枚余分にもらってきたやつ(笑)

10日間ほど道内を乗り回って、再び連絡船で青森へ。
夜行急行の自由席で上野まで戻ってきた。
東北本線経由の「八甲田」、奥羽本線経由の「津軽」、
常磐線経由の「十和田」、どれに乗ったか覚えていない。

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 【1/24 追記】
  周遊券に秋田駅の途中下車印を発見したので、
  奥羽本線経由の急行「津軽」で帰ったことが判明。
  10分の停車時間に、改札まで走ったんだな。(笑)
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東京で夜まで時間をつぶした記憶はないので、
大垣行345Mでなく、昼間に大阪まで乗り継いだのだろう。
始業式の日の直前まで、放浪していたのだろうし。(苦笑)
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 既に過去帳入りした駅名も多い

この北海道旅の写真は全く残っていないのだけど、
途中下車印のたくさん押された周遊券の他に、
大垣夜行に乗り継ぐために車内で買った特急券、
記念にと余分にもらってきた乗船名簿も残っている。

寝台列車とはまた違う、夜行列車の座席のあの雰囲気。
レールサウンドが心地良く、高速バスともまた違って。
旅に出るのに、良くも悪くもスマホなんてものは持たず、
車窓を流れる灯りを眺め、色々なことを考えたあの頃。

本当に「使命が薄れ」てしまったのか分からないけど、
青春時代の思い出の残る列車がまたひとつ・・・。