鉄道の廃線跡を巡るのが好き。 道路の旧道や廃道なんかも。
工場や炭鉱、煉瓦倉庫などの産業遺産もよく見に行く。

明治以降の近代化遺産群が好きなのだけど、
避けて通れないのが、戦争や旧日本軍に関するもの。
ミリタリーマニアじゃないし、戦争を美化する気もないけど、
功罪含めて、ちゃんと後世に残して伝えていく義務はあると思う。

我が愛川町の現在工業団地になっている場所、
相模ナンバーの車検場のある一帯は、戦時中は「相模陸軍飛行場」だった。
以前、横須賀の海軍軍港まで水を送るために作られた「水道みち」を調べたけど、
飛行場の方もそのうち調べてみたいと思っていた。

町の郷土資料館に写真や資料があるのを知って見学に行き、
ネットでも僅かに遺構が残っているとの情報なので、出かけてみた。
現在は、個人や企業の私有地内に位置するものも多い。
見物するだけなら、どれも道路からでも可能だけど、
写真撮影の許可をお願いして、快くOKを頂いた。


通用門の門柱


通信施設


格納庫基礎


排水路橋


門柱(移設)

この中で、排水路橋だけは存在に気付いていた。
ただの築堤に見えても、鉄道の廃線跡だとピンときて分かる、あの感じ。
飛行場があった話は知っていたので、初めてこの道を通った時から、
「この橋、何かしら軍関係の遺構だろうな」と。

この飛行場、元々は飛行学校だったのが、戦争激化で出撃基地となったそう。
米軍からは日本の最優秀機と言われた、四式戦闘機「疾風」が配備されていた。
特攻出撃も行われたそうで、やはり悲しい歴史が眠っている。